2010年2月26日金曜日

草薙素子


この音色の、いやらしい位の、
シャーマニズムっぽいのに、ゴメン。
大好きだ。
いや、強い女でいいんだよ。
そもそも、
こんなのは、たぶん、
そのうち現れる。
日本のアニメの技術とかが、
スゴイとかの話じゃなくてね。

さて本題。
ナウシカ異聞
映画ナウシカの放映があった。
何回か観てるが、
原作まで考えた事はなかったから、
自然、戦争を考えるあたりで終了してた。

映画としては、完結しているんだろうが、
コミックは全7巻。
このうち2巻の映画化。

残り5巻あるなんて、
知らんかったよ。
巨神兵が簡単に溶けてしまう理由がわかった。
ナウシカの深層


まず、ナウシカ(達)は、
『人造人間』だ。
「草薙素子」なみだ。

生き残るために、
先史人類を絶滅してしまうという、
最終決断実行者。
戦争とか、環境とか、関係ないような。

これは、
人類の、
「欲」の話なんではないかなあ。

ナウシカのハイパーな強さ、を理解するには、
残り5巻だ。ああ、めんどくさい。

残り5巻を考えながら、
もう一度観てみたら、
あれ?

面白い。

2010年2月25日木曜日

ズウフラ


てれすこの次は、ズウフラ。
まあ、日本のメガホンの起源かな。

岡本綺堂の、半七捕物帳に、
ズウフラ怪談」てのがある。

「銅製、形ラッパの如く、長さ三尺余、口に当てて呼ぶ」
全部作者の創作じゃあないのか?と疑った。
その位、ヘンな語感があった。

ルウフル(蘭語Rofleの訛)、
『和合人』天保十二年、と読み進むと、妙に納得。
こりゃあ、埋もれてしまったなあ・・・。

でも、この姿がみたい。
豆腐売りの、ラッパのお化けで、
蓮根みたいなのを想像するか。

近いのがあった。
『豆州内浦漁民史料』。
これに、「ローフー」あり。
日本アレンジ版で竹製。さもありなん。

やや、落ち着いた。
が、マンガ棚下照生の「ずうふる」が気になるなあ。

2010年2月23日火曜日

てれすこ結



アハハハハハハハ。
マスコミが、
リュウグウノツカイ」が、沢山揚がってるって、
騒いでやがる。(まあ、派手だからなあ)
はるか、昔からあることで、
騒いじゃあいけませんや。

さて、決着だあ。
こうしてみる。

てれすこの、語源は、
東北地方の、でれすけ、だらすけ。
(テレスコープなんて、ありえない!)

そして、そのお魚は、
「あまびくにん」。
ビクニンでさえ、アヤシイのに、かぶせて尚、
尼をのっけてる。
こんな、楽しいお魚はないんでなんかい。
(内田春菊と西原理恵子のお話意外では、
めったにおめにかかれない。)

この、ニュルンっとしたのが、
桶に入って、
干されて、「すてれんぎょ」。

深海魚、ガンギエイが干物になって、
ジェニー・ハニヴァー(Jenny Haniver)なら、
あまびくにんが干物になって、
すてれんぎょうなんてかわいいもの。

妄想。

          かしく

2010年2月22日月曜日

てれすこ参


アフリカ、コモロ諸島近海で捕れたであろう、
シーラカンスの最初の一匹が発見され、
歴史の表面に浮かんだのが1938年。
(日本もドイツも大暴れ、第二次大戦直前)

インドネシアで初めて、
シーラカンスがみつかったのが、1997年。

2006年5月30日、
ボルネオ島東5~600kmで日本の調査隊が、
生きたシーラカンスの撮影に成功。
(コモロ諸島から9000km)

Indonesian coelacanth

アフリカコモロ諸島から、
紀伊半島まで、10000km。
江戸時代の日本近海に、
シーラカンスがいても何の不思議もない。

深海での漁獲技術がなかったという事と、
(サクラエビ漁なんて、
アジの網がたまたま深く潜って採れたのが、
明治時代、1894年)、
まれに獲れるその味が、
うまくないということで打ち捨てられ、
歴史に足跡がないのかもしれない。

アフリカの最初の一匹が、地元の市場で発見されたように、
アフリカでも、インドネシアでも、日本でも、
地元民にとっては、世紀の大発見でもなんでもなく、
古くから繰り返されてきた、
日常の一断片に過ぎなかったのではないだろうか。
最初の発見から、もう何百匹も捕獲されている。

シーラカンスが、一漁村の漁場を荒らすとは考えにくい。
漁民達がたまたまの不漁を、
うっかりフラフラと浅場にでてきてしまった、
怪魚のせいにしてしまうというのは充分考えられる。

紀文の退治したのは、「シーラカンス」。
というのが、夢があって楽しい。

でもここは、北斎のせいで、
「モササウルス」の仲間「グロビデンス」にしておきたい。

まあ、どちらにしても、
かわいい名前がつく訳はないはな。

2010年2月21日日曜日

てれすこ弐


「画狂人」葛飾北斎は、
江戸時代には珍しく長命で九十歳まで生きた。
五十五歳の時(1814年 文化11年)
に初版が発行されたのが、
北斎漫画』。
これが、1830年代のヨーロッパの画家達に、
影響を与えたのは今回関係ない。
紀伊国屋文左衛門が、怪魚を退治してから、
130年程たっている。

初版から、十五編まで発行された北斎漫画の中に、
ヘンなものが沢山ある。
その内の一つが、「鱶(ふか)」だ。
鰓の位置が、どう見てもおかしい。
(鰓以外にもおかしい。背中のヒレ多すぎ。)
サメの鰓は普通、ヒレの前にあるのさ。
こんなサメは存在しないと思う。

何故、北斎は鰓の位置を間違えたのだろう?
鮒とか他の魚は、かなり写実的にリアルに描いてある。
仮説1 実物を見ていない。
    奇書『山海経(せんがいきょう)』
    あたりからインスパイアされたか?
仮説2 初めて見たサメの、その大きさと異様さから、
    デフォルメをし過ぎた。
仮説3 サメではない、何かを見てしまった。

仮にも画家の観察眼を持ってして描かれた、
この北斎の「鱶」、怪しすぎる。
1723年(享保8年)に、作者不詳で描かれた鮫は、
ヘナチョコだけど、北斎よりはまともだ。

どうしちゃったんだよ、「画狂人」北斎。

てれすこ


海辺の漁村の話。
ある年、海に大きな怪魚が現れ、
魚が獲れなく漁にならない。
村人達が、困りはてていると、
一人の若者が、怪魚退治に名乗りをあげた。
そして、見事、この怪魚をしとめた。
この怪魚には、
『蠍足』(さそりあし)、があったという。

時は、今から三百年程昔、17世紀末、
場所は、紀伊半島のどこか。
若者は、後の紀伊国屋文左衛門。
(17~8才の頃。「生類憐れみの令」前後)                      「出典」が思い出せない。

『蠍足』。この言葉が、どうにもわからない。
Google先生もお手上げだ。

まず、思い浮かべるのは、
ホウボウやアンコウ類だが、
沿岸漁業に支障をきたすとは思えない。

紀文が退治した怪魚は、一体なんだったのか?

江戸時代以前、日本各地で
「くぐるくつ」や「ばばくろう」みたいのが、
捕れていたはずなのだが、歴史の表面には、
なかなか出てこない。

2010年2月19日金曜日

十両でとぶ首


古典落語。
ったって、そう古い話じゃあない。
でも、

時と金と地図が、
古典落語聞くには、まず必要な基礎知識。

現代人として、江戸時代を「間夫」にできるかどうか。
(新作落語って、何なの?てな話にもなるけど、
 そんなもんは、おいとく)

「一刻」、「一両」、「田町(浅草の」

お客がね、
その時間や金額や場所を、
即時に受け止めなきゃあならない。
演者はそれを、要求すべき。
わからん奴は、聴かんでいいと・・・

現代風アレンジで、
「革財布に500万」とか、
「高尾を買うのに300万」なんてのじゃあ、
なんだかなあ。

時と場所はそう難しくないが、
金はややこしい。

いくら調べても決定打は出ない。
感覚で落とすしかないのかなあ。

2010年2月14日日曜日

狼王ロボ


両親に左右の手を繋がれて、
浅草六区の封切館。
「狼王ロボ」が、生涯初映画館。

モノクロで、
燃え盛る牧場をバックに、
ロボがこちらに歩いてくる。

という、エンディングだと、
ずーっと思っていたのに、
全然違った。

世界最強のメイド、「ロベルタ」を観た時に、
ロボを思い出したのは、
まちがいだったか。

(でも、たぶん、バラライカには、
勝てない)

バカみたいな、引用ブログに騙されてはイカン。

ディズニーは頑張った。うん。
とりあえず観てから。

2010年2月12日金曜日

喧しさ



「かまびすしさ」と読む。
読めなかった。情けない。
ノンラーも知らず。
平沢進というミュージシャンは,
天才詩人だ。


『白虎野の娘』

遠くの空まわる花の円陣の喧しさに

あの日や あの日に 超えてきた分岐が目を覚ます

陽炎に身を借りて 道を指す娘を追い
(アオザイの娘が 吹く風の道を指せば)

高台に現れた 名も知らぬ広野は懐かしく
            (陽をを受けて)

あれが夢で見せた街と 影の声が囁いた

来る日も 来る日も 幾千の分岐を超えた時

暗がりの賢人が 捨てられた日々を集め
(ノンラーの賢人が 捨てられた道を指して)

海沿いに 海沿いに 見も知らぬ炎を踊らせた

ああ マントルが饒舌に火を吹き上げて

捨てられた 野に立つ人を祝うよ

ああ 静かな静かな 娘の視野で

ああ 見知らぬ都に 火が灯り出す

高く空朱に染め 火の燃える如きの雲模様
        (あの上る炎の奇跡には)
        
あの日やあの日や あの時に失くした道を見せ

繰り返し夢に吹く 風を追い時を下り
(アオザイの裾を吹く 風を追い坂を下り)

川沿いに川沿いに 身も知らぬ至福の花を見た

ああ マントルが饒舌に火を吹き上げて

捨てられた 野に立つ人を祝うよ

ああ 静かな静かな 娘の視野で

ああ 見知らぬ都に 火が灯り出す


「ヨイヤー、・・・」は意味が無いらしい。
途中の語りはベトナム語で、

「ようこそ、ここが私達の都、ここが私達の未来」

んでこれは「パプリカ」というアニメの主題歌なんだが、

オリジナルに『白虎野』があるわけで、( )内がそれ。
あまり違わないが、いい詩であるに変わりなし。
歴史とか時間とか人間の原点を夢ふくらませる。

ベトナムでなにかを見てしまったんだろうな。

でも、何故か元気の出る曲だ。

SKY TREE



偶然に写っていた。
こんな所からからも、
見えるんだ。
本日の高さ
289m
だとさ。

2010年2月10日水曜日

ひさしぶり


昨日のことだ。
あまりにポカポカなもんで、
二年ぶりに、水溜りみたいな止水で、竿を出した。
グルテンで正味1時間。
底狙いで、なんとか二匹。
よくぞ、いてくれたっ!!
魚がいるかどうか半信半疑だったのに、
雨以外に頼れない止水の生物、強いなあ。