夕方、水路沿いの道で自転車をこいでたら、
縁石の上にチョコンと、
カモの様な鳥が座っていた。
すぐそばまで、近寄っても、逃げない。
体調が悪く、もう動けないのだろうと思った。
何もしてやれる事はなく、そのまま帰ったが、
その後が気になっていた。
次の日の夕方、前日の場所近く、
人工護岸の石の上に、彼女はいた。
小さい女の子が、二人で、その躰を撫でていた。
が、やはり、まるで動こうとしない。
これは、いよいよ衰弱してるのかと、思ったが、
何もできずに帰った。
その夜、どうしても気になり、折り畳みスコップと、
ライトを持って、彼女を探しに行った。
死んでいたら、埋めてやろうと思っていた。
しかし、川岸を往復しても見つからなく、
かなり、ホッとした。
その次の日の夕方、水鳥の子供が、
水際で騒いでいるところに出会った。
自分で捕まえた小魚が、うまく飲み込めずアタフタしていた。
何度咥え直しても飲み込めない。
あれあれと見ていると、魚を咥えたまま、泳ぎ出した。
その先を見ると、スイスイと泳ぐ彼女がいた。
親鳥夫婦の後を、五、六匹の子供達がピヨピヨ付いて行く様な、
微笑ましさばかりではない。
鳥の世界にも、母子家庭はある。
あっ、と思った。
昨日、一昨日、衰弱しきって動けないと見えた彼女は、
お腹の下に、雛鳥を匿っていたのかもしれない。
もし、そうなら、何があっても私は絶対動きませんという、
あの覚悟は見事だ。
今日の夕方、水際を泳ぐ雛鳥を見た。
周りを探したが、彼女は見つからなかった。
もう、探さないつもりだ。