2013年6月24日月曜日

カルガモかも

夕方、水路沿いの道で自転車をこいでたら、
縁石の上にチョコンと、
カモの様な鳥が座っていた。
すぐそばまで、近寄っても、逃げない。
体調が悪く、もう動けないのだろうと思った。
何もしてやれる事はなく、そのまま帰ったが、
その後が気になっていた。

次の日の夕方、前日の場所近く、
人工護岸の石の上に、彼女はいた。
小さい女の子が、二人で、その躰を撫でていた。
が、やはり、まるで動こうとしない。
これは、いよいよ衰弱してるのかと、思ったが、
何もできずに帰った。

その夜、どうしても気になり、折り畳みスコップと、
ライトを持って、彼女を探しに行った。
死んでいたら、埋めてやろうと思っていた。
しかし、川岸を往復しても見つからなく、
かなり、ホッとした。

その次の日の夕方、水鳥の子供が、
水際で騒いでいるところに出会った。
自分で捕まえた小魚が、うまく飲み込めずアタフタしていた。
何度咥え直しても飲み込めない。
あれあれと見ていると、魚を咥えたまま、泳ぎ出した。
その先を見ると、スイスイと泳ぐ彼女がいた。
親鳥夫婦の後を、五、六匹の子供達がピヨピヨ付いて行く様な、
微笑ましさばかりではない。
鳥の世界にも、母子家庭はある。

あっ、と思った。
昨日、一昨日、衰弱しきって動けないと見えた彼女は、
お腹の下に、雛鳥を匿っていたのかもしれない。
もし、そうなら、何があっても私は絶対動きませんという、
あの覚悟は見事だ。

今日の夕方、水際を泳ぐ雛鳥を見た。
周りを探したが、彼女は見つからなかった。

もう、探さないつもりだ。

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